何が正しく何が間違っているかそんなものは誰にもわからない。
正論を並べられても正しい選択肢だと頭で理解できていても消化するのには時間がかかる。
そして拒絶する事が間違っていたとしても拒絶したい事もある。
それがどんな事でも…人は正論だけで動くことが出来るほど強いものではない。
ならば、せめて自分の行動だけは自分で悔やむ事のない選択をして欲しい。
全ては俺の手で終わらせたこと
数年前、ある人間との最後のやりとり
「少し会えないか、付き合って欲しいことがある」
だが、私の心は既に冷え切っていた。
私は「悪いな、時間がない。他をあたってくれ」
奴からは「そうか、すまなかった。体には気をつけてくれ…」
とだけ送られてきた。
それが、そいつとの最後のやりとりだった。
私の金銭に対する甘さが招いた一つの愚かな結末…
私は苦虫を噛み潰したような顔をしながら呟いた
「どの面下げて連絡してきやがった…お前とはもう終わったのだ。俺が自らの手で終わらせてやったんだよ…クソが」
そのやり取りが最後だった。
それから私は日常を送っていた。コロナが流行し生活は制限されていたとはいえ日常を楽しみながら過ごしていた。
歯車は狂い始め嫌でも動き出した
数ヶ月前、親父が突然告げた「叔母さんは…もう長くない」
私は動揺した、自ら絶縁した人間の母である叔母さんの命が余命いくばくもない状態であることを初めて知った。
「そうか…」としか言えなかった。
確かに叔母さんにはお世話になっていた、幼少期から面倒をよく見てもらい成人してからも会う度たわいもない話をしたりして…いろいろお世話になっていたのを覚えている。
伯母さんの命が消えようとしているのは悲しいと思った。
その瞬間嫌でも出てきたのは…
だが、その瞬間私の頭の中で奴と絶縁したことが瞬時に頭の中でフラッシュバックした。
今更奴に会うという選択は私の中では絶対ない、それがこういう状況だとしてもそんなものは絶対嫌だと強く心が拒絶した。
俺は…絶対に会いに行かない、それが非常識だとしても。自分が関係を終わらせた人間と会う可能性を考えたら動きたくない…と思った。
両親には「悪いが、コロナの事があるから俺は万が一の時があっても行かないからな」と一言告げ話を終わらせた。
その意味は両親には全く理解できなかっただろう…
自身の感情を殺すか全てを話し自我を通すか揺れ動き出した。
数日もせず私に試練が訪れた。母親が親戚のおばさんのところへ行くと言い出したのだ。
母親は私にも来いと言った。
「いや…それは。」私は拒否する姿勢を見せたが当然それは通じなかった。
少し間を置き「それには(絶縁した)奴は…来るのか?」と聞いた。
母は「多分来ないと思う…それがどうしたの?」
もう隠していても無駄だと悟り金銭でトラブルがあり許す事ができなく絶縁した話を初めて話した。
母は急に顔が真剣になり「…そう、そうなのね。それは、辛い経験だったね。だけど、叔母さんにあって欲しいの…あんたもお世話になっていたでしょ。恐らくもう会えなくなるよ」と言われた…私の出した結論は「わかった。」と口数少なく答えてしまった。
出発日前日、結局母親と私と他の親戚の人の合計3人で会いにいくことになったことを告げられ了承した。
だが、予想外の言葉が出た「午前中に彼(絶縁した奴)が叔母さんに面会しに行くらしいのよ」と…
私は激しく動揺した。
もし、時間がバッティングしたら奴と再会する可能性がある…
そう考えただけで負の感情、いや憎しみの感情が心の底から吹き出ているのは認識した。
激しい剣幕で母親に問う「それは奴と会う可能性があるという事か」と…
母は「そうかもしれないけど今はそんなこと言っている場合じゃないでしょう」と言った。
内心はらわたが煮えくり返り自制が効かなくなりそうになるほど憎しみが溢れた…
だが、結局無言で受け入れてしまった。
私は結局自分を偽ってしまったのだ。
そして、ホスピスへ
翌日、3人でホスピスへ向かい叔母さんに会う事になった。
叔母さんは私が以前知っていた叔母さんとはかけ離れてしまうくらいやせ細っていた。
言葉すら出ない…母は叔母さんと少し話をして病気で行けなくなった父に叔母さんと電話をしてもらっていた。私自身もおそらくこれが今生の別れになるだろうなと思い叔母さんに笑顔で話しかけありがとうございますと感謝の言葉を告げた。時間にして15分もなかっただろう…
最後におばさんの手に触れたが不思議と小さく…だけど温もりを感じた。
私が心配していた絶縁した奴には会うことなく面会は終わった。
ふと思った…考え過ぎかもしれないが、奴なりに気を遣い私と会わないようにセッティングしてくれたのかなと…
万が一会ったら「大変だったね」と一言だけ告げるつもりだったがその心配も空回りした。
それから数週間もしないうちに叔母さんは天国へ旅立っていった。
結局、正論や理論だけでは人の心は動かない
今回、私は自分の思う事の真逆を選択し会いにいくという決断をしました。
会いに行った事はもしかしたら人間として正しいと思う。
そして、会ったこと自体は良かったのかなと心で納得することが出来ました。
だが、会いに行かなかったとしても私自身は後悔をひとつも感じなかったと思います。
正論や決めつけだけで人の心は動かない、それを今回自らの体験で知ることが新たに出来ました。
何が正しく何が間違っているかそんなものは誰にもわからない。
何故ならその答えは人それぞれ違うのだから。
正論を並べられても正しい選択肢だと頭で理解できていても消化するのには時間がかかる。
ましてや、拒絶する事が過ちだとしても心がそれを望むことがある。
それがどんな事でも…人は正論だけで動くことが出来るほど強いものではない。
私がこれを読んでいる方に言いたいのは
自分の行動は自分で悔やむとのない選択をして欲しい。
自分に蓋をして選ぶことが本当に正解なのか、私はそんなことは無いと思っています。
心が拒絶している選んだ選択肢で自分自身が苦しむ必要はない。
正解などその人によって違うのだから
それでいいのではないでしょうか。
結局自分のストーリーを決めるのは誰でもない自分自身
未来は今この瞬間の積み重ね
だからこそ…人と違って良いと思う。
正論や倫理ですべてを収めることは不可能です。
少しでもひとりひとりが心から望む選択をして自分らしく生きられる事を切に願って終わりにしたいと思います
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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